臆病者

 ファミレスの一番奥の壁際の席。なんとなくそこが俺たちの定位置になっていた。ランチタイムを過ぎたせいか、日曜日にも関わらず店内はそれなりに空いていた。数組の親子連れやカップルがそれぞれ談笑しながら食事をしている。連れられているガキが甲高い声を立てたり、急に泣き出したりする。見なれた風景。
「ドリンクバー安くなる券持ってる?」
 向かいの席に座っている黄色が財布の中を確認しながら聞いてきた。黄色の長財布は小銭を押し込み過ぎてパンパンに膨らんでいる。俺持ってないみたい、と黄色が残念そうに言う。俺も財布を取り出して券を探した。いつのだかわからないレシートやらラーメン屋の百円引きの券やらを引っ張り出すと、それらに挟まっていたのか一緒に出てきた。よれよれの一枚。クーラーの風に飛ばされそうになるのを指で押さえた。
「自分の分しかねぇ」
 黄色にそう言うと「じゃあそれ使う」と言われた。
「アホ言うな。俺が使う」
「うっわあケチ」
「当然だろうが」
「マッシロー、あいつあんなこと言ってんぜ」
 黄色は隣に座っているマッシロに愚痴る。マッシロはメニューをじっと見ていた。俺たちの話なんて聞いちゃいないみたい。「マッシロってば」黄色がもう一度言うとマッシロはメニューから顔を上げて黄色を見た。
「どしたの」
「ドリンクバーの券ないからちょーだいって言ったらあいつ嫌って言うんだ。どう思うこの薄情者」
「おい待て大事なところを端折るなよ。俺一枚しか持ってないんだって」
「自己中! 友達が目の前で困ってるっつうのに、おまえは自分のことしか考えてないんだな! ゆとり世代め、おまえは現代社会が生んだ悲しき怪物だよ」
「おまえに言われたかねぇよ」
「大丈夫だよ黄色、俺たしか二枚持ってたと思うから一枚あげる」
「マッシロ……! やっぱりマッシロはやっさしいなあ、どっかの誰かとは比べもんにならん」
「うるせえ」
 マッシロはお金を入れているジップロックから券を出して黄色に渡した。マッシロは財布を持ち歩かない。すぐなくすからだ。黄色は「ありがとう感謝永遠に」と言ってそれを大事そうに受け取った。いちいち芝居がかってて鬱陶しい。
「何頼むか決めた?」
 ひどく腹が減っていた。もしかしたら空虚感を空腹感とすりかえていたのかもしれない。でもとにかく今は腹いっぱい食べたい。
「俺はハンバーグとミートスパゲティと、えーとフライドポテトと、んー、デザートはまた後でいいや。そんでドリンクバーな」
 黄色はそう言ってメニューを俺に渡す。このメンツで食事するときは俺がまとめて注文するのが習慣になっていた。俺としては面倒くさくて嫌なのだけど。
「ハンバーグのソースはどうすんだ」
「あーそっか選べるんだっけか、じゃあ……デミグラスで。あ、洋食セットにしてパンつけてもらって」
「はいはい。マッシロは?」
「唐揚げ定食とチヂミ。あとドリンクバー」
「ん。俺はどうすっかな……」
 親子丼とシーザーサラダと鯖の味噌煮とチーズ入りツインハンバーグ(目玉焼き付き)と、デザートにチョコレートパフェを頼むことにした。店員をベルで呼んで注文を終えると、黄色が目を丸くした。
「珍しいね、おまえがそんなに頼むの。しかもデザートまで」
 黄色は小柄なわりにはよく食べるので、今日の注文は少ない方だった。それに比べて俺はそんなに食べる方ではない。ファミレスでそんなに食べたら金が勿体ないっつうのもあるけどね。
「腹減ってんだよ」
「ふうん。てっきり俺はさ、おまえのことだから俺は繊細だからこんなときに飯なんか食えねえとか言うと思ってた」
 黄色の言葉には茶化そうとする雰囲気はなく、純粋にそう思っていたようだった。俺だって食欲をなくすと思っていた。でも実際は自分でも驚くほどに腹が減っていた。頼んでからものの数分しか経っていないのにまだ来ないのかと苛立っている。
「マッシロさあ、なんで今日ネクタイしてんの?」
 苛立ちをまぎらわそうと思って、今日ずっと疑問だったことを聞いた。俺たちの高校の制服は学ランだし、ネクタイ着用義務はない。なのに今日のマッシロは制服の夏用のシャツに黒いネクタイを付けていた。俺ら三人とも制服なのでマッシロは浮いていた。というか、マッシロがネクタイをしているせいで、まるで俺と黄色はネクタイをするべきなのにしていないように見えてちょっと落ち着かなかった。マッシロのネクタイにしても、きったねえ結び方で、今にもほどけそうだったので俺が結び直してやったのだが、そもそもなんで結んでいるのかわからなかった。そのときはなんとなく理由を聞きそびれたのだけど。
 マッシロはネクタイを指先でつまんだ。
「だって、ああいうゲンシュクな場って、俺どうしたらいいかわかんなかったから……なんつうの、雰囲気に負けないように、つけてみた。ちょっとそれっぽいでしょ」
「ああ、なるほどね……」
 どうせ厳粛を漢字で書けないんだろうマッシロはそんなことを気にしていたのか。納得した。ていうかそんなこと気にするなら、まずはその寝癖の直ってない白髪頭に櫛を通すべきだったと思うけどな。黄色が笑う。
「俺もそれ気になってたんだよ。そんな理由だったんだ? マッシロでもそんなこと考えるんだねえ」
「そう言う黄色だって今日は普通だったじゃん。気にしてたんでしょ、それなりに」
「まあそりゃあ嫌だったけどさ、一応空気が読める男として通ってるわけだから。それなりにね」
 黄色はわざとらしく肩をすくめた。喋るのが大好きでビビッドな原色を愛してやまない黄色にとってはああいう白黒ばかりのうえに静かにせざるをえない場は苦痛でしかないのだろうが、さすがに今日はちゃんと大人しくしていた。珍しく制服も普通に着ていた。普段は、こっちが無言でも勝手にマシンガントークをかますうえ制服でさえ白黒に耐えられないやつなのだから評価に値することだった。
 そのときマッシロがポケットから煙草を取り出そうとするのが見えたので俺はそれを止めた。
「おいマッシロ、ここ外だぞ。制服でそれはまずいだろ」
「ああ、そっか、うっかりしてた」
 と言いながら、しまうわけでもなくオレンジ色の包装から煙草を取り出すので俺は慌ててマッシロの手から煙草を奪い取った。
「あー、どろぼー」
「バカかおまえは。見つかったら面倒なことになんだから我慢しろ」
「うう」
 残念そうに眉を下げるマッシロ。んな顔したって駄目なもんは駄目なんだよ。そもそもここ禁煙席なんだし。黄色はマッシロの肩を抱いてよしよしと大げさに慰める真似をしてみせる。もちろんあてつけだ。黄色は俺を悪者にするのが好きだから困る。
「本当ケチだな」
「おまえ黙ってろ」
 俺はマッシロの煙草を自分の鞄にしまって、テーブルの灰皿もマッシロの手の届かないところに移動させた。
「後で返してね」
 マッシロが言う。心配しなくても返すよ俺は吸わねえし。そろそろドリンク取りに行こうぜ、と黄色が言うので同意した。行ってる間に料理が来るとまずいのでマッシロは席で留守番。カルピスね、と言うマッシロにうなずいて席を立つ。黄色はドリンクバーはとりあえず全部混ぜる。俺はマッシロの分のカルピスと自分の分のオレンジジュースを注いだ。席に戻る途中で、見たことのある後姿が見えて思わず立ち止まった。
 あの撫で肩。