<PM 18:36 黄色・???>

 黄色はメダルコーナーの通路の真ん中で立ち止まっていた。ハツに背を向ける形で立っている黄色が邪魔で通れないと思ったものの、どいてくれとわざわざ声をかけるのも嫌で、別のルートを通るかと考えていたら黄色が振り向いた。ハツと目が合うと露骨に落胆した様子で頭を抱えた。
「君かよオ! あいつらは追いかけてきてくれないなんてェ!! ひどい!」
「……通っていいですか?」
「やだァ!!」
 隣をすり抜けようとすると体でブロックしてきた。面倒な人だなあ付き合ってられないと思い、来た道を戻ろうと回れ右をすると、さっきまで自分が歩いていたところにたくさんのメダルケースを抱えた青年が歩いているのが見えた。室内だというのにこじゃれたハットをかぶり、サスペンダー付きのズボンを履いている。ゲームセンターで遊ぶ格好にしてはやけに整った身なりで、いささか周囲からは浮いていた。中途半端な角度の後姿と横顔しか見えないけれど、上等そうな服に見える。悪く言えばボンボンっぽい、このへんのゲーセンじゃ見たことないひとだなとハツは思った。っていうかメダル取りすぎだろどんだけ抱えてんのと目を丸くしていると、傍にいる黄色が「……アッパレ」と息をのんだ気配があった。アッパレ……天晴? 食えない態度ばかりのこのひとも普通に驚いたりするんだな、とちらりと見やると、黄色は驚きに見開いていた目を忌々しげに細めた。ハツはその表情の剣呑さにビクリとした。ゲームセンターの喧騒にかき消されそうな小さな声で黄色が呟いたのが、ハツにだけ聞こえた。
「……アイツ、帰ってきてたの」
 掠れたその声が、まさか聞こえたはずはないだろうけれど、青年がこちらを見た。うっ、と思ったハツとも目が合ったけれど、青年はその隣に黄色の姿を認めると目を丸くし「おおー!」と声をあげた。それのみならず、喜色満面といった様子でこちらにズンズンと近づいてくる。「うわこっち来ンなよ……」という黄色の呟きが聞こえ、焦ったハツが「知り合いですか?」と声をかけると、我に返ったように黄色はハツの方を見、ハハッと乾いた笑いを漏らした。
「こんなところで会うと思わなかったけどねェ。顔見知り……って感じかな」
「そのわりに向こうはめっちゃ嬉しそうですけど。親密なんじゃないんですか」
「まさかァ! アイツは誰に会ってもああなんだよ。馴れ馴れしいやつでさァ、俺の方は大ッ嫌いさ、二度とツラも見たくなかった! ……あ、勘違いしないでね俺って温厚だし誰とでも仲が良いの、すぐ怒ったり嫌ったりしないよ、こんなふうに言うのはアイツのことだけだよ、人間の好き嫌いが激しいなんて思わないでネ、ねっ」
 こそこそとやりとりしている間にも、件の青年が眼前までやってきた。黄色は一歩だけ後ずさりしたが、プライドが許さなかったのか意地で再び足を揃えた。青年は何か香水でもつけているのかふわりとあまい匂いがする。いやちょっと待てとハツは思った。近い。すごく。青年は抱えていたメダルケースを足元におろすと、少しかがんで黄色と目線をあわせた。彼はパーソナルスペースが異様に狭いようだ。この距離感では無視できない。黄色は意地で顔で引かなかった。青年は睫毛の一本一本が見えそうな距離で黄色をまじまじと眺めて、ニコ~~~~ッと笑った。歯磨き粉のコマーシャルに出てくる芸能人のようにきれいな歯並びだとハツは思った。
「久しぶりだなあ、イエローくん! また一段と素敵な髪になった、一瞬わからなかったぞ」
「別にわかんなくてよかったよ。軽々しく話しかけないでくれるかなァ」
「そう照れるな照れるな」
 青年はなんでもないことのように笑っているが、黄色のそれは照れ隠しなどではなく、一切合切心からの言葉だということがハツにはわかった。ハツどころか、きっと誰にでもわかるぐらいに感情の乗った素直な言葉だった。同世代の少年たちより少しばかり声が高く、普段からおちゃらけて喋る黄色の、つとめて低く抑えられた嫌そうな声。黄色は本当に彼に話しかけられたくないし、関わりたくないのだ。このひとには本当にそれがわからないのだろうか? ハツは半ば唖然とした。それどころか青年が握手を求めるように手を差し出したときには「嘘でしょう?」と声に出そうになったほどだ。なぜまったく怯まずそんな態度でいられるんだろう。同じだけの親愛が返ってくることをかけらも疑っていないような、そんな。黄色は案の定、差し出された手を睨みつけ、無視している。それどころかポケットに両手を入れてしまった。完全なる拒絶だ。それでも青年はまったくめげない。手を下ろさないまま嬉しそうに話し続ける。
「何年かぶりにこっちにきて心細かったところなんだ。こんなところで偶然会えるなんてラッキーだ」
 その言葉を聞いたとたん、黄色は今まで以上に激しく怒った。「あ゛ァもう!」と叫び、ぎらぎらと瞳を憎悪の色に染め、子供の駄々のように地団太を踏んで怒っている。毛を逆立てて威嚇する獣のようだ。ハツは思わず、三歩ほど距離をとった。今の会話の何がそんなに気に障ったんだろう?
「黙れよ。俺は昔からおまえが嫌いだって言ってンだろオ。とっとと消えろったら!」
「なんでそんなに怒ってるんだイエローくん?」
 もうやめてあげて、とハツは思う。あくまでハツにとって黄色への印象は「いけすかない先輩」の域を出ないが、それでもこの状況では黄色に同情を禁じえなかった。この溌剌とした笑顔の青年は決して悪い人間ではないのだろうが、この噛み合わなさと致命的なずれ加減は、見ていていたたまれなかった。コミュニケーション不全の現場を見るのは、会話が苦手な自覚のあるハツの心をも二次災害的にちくちくと痛めつけるのだ。
「あの……ごめんなさい、今、黄色さんは私と遊んでいるところなので……、悪いんですが用があるのなら後にしてもらえませんか」
 気づけばハツは青年に話しかけていた。とりあえずこの二人を引き離さなければという謎の使命感が生まれていた。思わぬ第三者の言葉に青年と黄色が揃って「えっ」と意外そうにハツを見る。そんな目で見ないでくださいよ私だって驚いてるんですから……と思いながら青年の様子をうかがった。ぱちりと目が合った瞬間に、ハツは驚く。なんてきらきらと澄んだ目! ハツは思わずぽかりと口を半分開けてしまった。青年の瞳の中には星が浮かんでいる。幻覚や比喩の類ではなく、青年はその目に宇宙を囲っていた。凛々しく吊り上がった眉の下でふたつまるく輝いている。吸い込まれそうな思いで見つめていたハツに、青年はひときわ目を輝かせてぱあっと破顔した。黄色から顔を離し、今度はハツを至近距離で覗き込む。青年の左目の下の泣きぼくろまではっきりと見える。だから近い! とハツは心の中で絶叫する。
「それは……それはそれは! オレはなんと無粋な真似をしてしまったんだ、イエローくんとお嬢さんの大事なひとときを邪魔してしまうなんて。これは失礼したなあ。ああオレときたら自己紹介すらまだじゃないか……礼節を重んじるべきといつも肝に銘じているのに。非礼を許してくれるかい?」
「いやそんな……」
 これは、完全にデート中かなにかと勘違いされている。ハツ的にはそういう誤解はごめんだったけれど、訂正しない方が話が早そうだったので否定はしなかった。青年は妙にご機嫌なまま挨拶を続けてきた。丁寧にハットを取り、胸の前に片手を当ててうやうやしくお辞儀をする。気障な男だ。
「ありがとう! オレは天野晴々。よく『あまの』と間違われるんだが『あめのはればれ』という。字は天気の雨じゃなくて天下の天の方な。子どものころから名前のせいで『アッパレ』って呼ばれてるから、それに恥じない生き方をしたいと思ってる。さしあたっては、困ってる人を助けるために探偵をやってる。何かあったらいつでも相談してほしい。特技は変装で、歌うのが趣味だ。よろしく!」
 完璧な所作で差し出された右手を思わず握ってしまった。力強く握り返される。血の通う、かたくてあたたかな手だった。
「ハツです……」
 何の邪気も含みも皮肉もなく名乗り返してしまった。アッパレと名乗る青年はハットをかぶりなおしながら「ハツちゃんか、いい名前だ」と微笑む。目の中の小宇宙がとろけ、星が瞬く。
「そういうことならオレは行くよ。イエローくん、ハツちゃん、時間をとってすまなかった。また会おう。ゴッド・ブレス・ユー!」
 天野はメダルケースを抱えなおすと、颯爽と去っていった。動作がきびきびとしていて歩幅も広く、なんだ最後のゴッドなんたらは、とあっけにとられている間にいなくなった。ずっとその背中を睨んでいた黄色は、とうとう彼が見えなくなると、唇を噛んだ。ハツの疑問を想定していたのか「ゴッド・ブレス・ユー、アイツの口癖。祝福を、とか幸運を祈る、とかそういうニュアンスで使ってンの」と足元を見つめながら言った。「助かったよ」と短く述べられた感謝が、彼との会話を切ったことに対するものだとすぐわかった。黄色はしばらく何か考えているようだったが、ハツに対してきっぱりと言った。
「アイツに会ったことは忘れた方がいい。いいかい、見かけても関わらない方がいいよ。これはねェ、何の含みもない、可愛い後輩への俺の純粋なアドバイス。恩返し」
「そんな悪い人には見えませんけど……」
 少なくともアンタよりはだいぶ感じが良かった、と口には出さず思っていると、黄色は「うーん」と唸った。
「あ~悪いやつじゃないんだよたしかにね、だけどハツちゃんはまだまだ甘い、甘いナァ、この世の中にいる関わっちゃダメなやつってのは何も悪いやつばかりじゃないのさ。『良い』ことが時としては君を脅かす。覚えとくと、大人になってから役に立つかもね」
 黄色の嘲笑的な物言いに、ハツはカチンとくる。彼女は気が短い。そう、兄と違って。
「何がダメなんですか? たしかにちょっと話が噛み合ってなかったし、ヘンな名前だし、強引で、気障っぽかったですけど、礼儀正しい好青年だったじゃないですか。むしろアンタの対応の方が大人げなかったと思いますけど」
 通路の真ん中で声を荒げたハツに、黄色は「あはっ」とおかしそうに笑った。それにすら腹を立てたハツが「何がおかしいんですか」となおも言い募ると、黄色は「あぁごめんごめん」と軽く謝った。
「君を笑ったんじゃないんだよ、まさか大人げないと言われるとは……うんうん、そりゃそうだよナァ。さっきの俺はたしかに感じが悪かった。大人げなかったよ」
 黄色は青野からもらったメダルを弄び始めた。空中にメダルを弾きあげてはキャッチすることを繰り返している。ハツは黄色に腹を立てつつも、器用だなあと感心した。メダルに注目していたから、黄色の言葉を聞き逃すところだった。
「まァでも大人げなくて当然っちゃ当然なんだよねェ。だって俺アイツのこと殺そうとしてたんだし」