<PM 17:32  ハツ、伊藤、桜井>

 この街の若者が集まるゲームセンターというのはだいたい決まっていて、北区なら通学路沿いにある「ガンツー」と呼ばれる店がメインになる。本当の名前は「ゲームセンターガンガン二号店」といい、このあたりに住む人間はガンガン2を略してガンツーと呼んでいる。一号店(単に「ガンガン」というとこちらのことになる)は南区にある大型ショッピングモールの中にあって、去年の春に移転リニューアルしたのでそちらの方が広くきれいで新しいが、ハツはガンツーの方が好きだった。ガンツーは近所にあって昔から通っているからとか、ガンガンだと川を越えないといけないので距離が遠いとか、あっちは幼い子どもを連れた家族連れをターゲットにしたつくりだからとか、理由はいくつかあるけれど、ガンツーの方が落ち着くからというのが一番の理由だった。
 古びたゲームセンターの澱んだ喧騒の中には独特の呼吸のしやすさがある。ハツはそれを求めていた。

 格闘ゲームのコーナーには若い男二人組の先客がいた。会話はしなくともなんとなく常連の顔はわかるようになるもので、互いを「伊藤」「桜井」と呼ぶ彼らが水曜日の夕方によく現れることをハツは知っていた。金髪の「桜井」は、映画館で配られるような赤と青のレンズの3Dメガネをいつも頭に乗っけていたから嫌でも印象に残る。そんなメガネが必要になるようなゲームはこのゲームセンターにはないはずだから、何のための装備なのかハツにはわからない。「伊藤」の方は、なぜかいつも同じようなボーダー模様の服を制服のごとく着ているのでそっちはそっちでわかりやすかった。
 彼らはしょっちゅう煙草代だかプレイ代を賭けて勝負をしていて、互いに悪態をつきながら対戦をしているところをよく見かける。ハツはたまに順番待ちがてら二人のプレイを盗み見ているが、正直なところ二人ともさして上手というわけではない。格闘ゲームに関していえば、伊藤は隙だらけで防御のことを考えてなさすぎるし、桜井はいまいち攻め手に欠けており勝ち戦を逃しがちだった。何のゲームをやっていても彼らは実力がどっこいどっこいで、常に本気で勝負していることは伝わってくる。
 ただ、すぐ熱くなってしまうのがこの二人のダメなところだった。特に伊藤の方は、桜井に負けると、何もゲームの勝ち負けでそこまで熱くならなくてもとハツが心配するほどに悔しがるので、争いがゲーム外まで波及することもしばしばだ。灰皿を投げつけようとして店員が飛んできたこともある。桜井が得意げな顔で筐体の向こう側から顔を出そうものなら、伊藤は射殺さんばかりに睨みつけたり実際に胸倉をつかんだりする。桜井も「何すんだよテメー! 約束どおり金払えよ!」と怒鳴って胸倉をつかみ返し、ただの一触即発のチンピラ二人の図になる。今にも殴り合いに発展しそうになっても、最終的に伊藤が「もっかい!!」と叫んで別の筐体へ向かっていくことが多い。伊藤は勝ち逃げが信条なのか、自分が勝つと百点満点の笑顔で桜井から金をむしり取って嬉しそうに煙草を吸い、それっきり勝負しようとはしない。正直早く出禁になってほしい。
 そんな二人組だが、今日は伊藤が勝ったようだ。座り心地のよくないゲーセンの椅子に態度でかく足を投げだして座って、満足気に煙草をふかしている。鬱陶しいという表情を隠さずに小銭を数える桜井をニヤニヤと見つめていた。
「カートン分払えよ、桜井」
「は? ふざけんな、んな約束してないだろ。だいたい煙草だって最近高くなってんのに、俺が勝ったときはジュースでおまえが買ったら煙草っておかしくねえ? 金額的なバランス悪すぎるじゃねーか」
「負け犬がうるせーな。じゃあ寛大にひと箱分で勘弁してやるから文句言ってないでさっさと五百円寄越せよ」
「おまえ五百円渡すとおつり返さないからヤなんだよ。ピッタリ払ってやるからちょっと待っとけ」
「何ケチくせえこと言ってんだおまえ、小銭ジャラジャラして鬱陶しいからワンコインで寄越せよ!」
「嫌だわボケ。むしろおまえに持ってかれてるおつりの累計でそろそろカートン買えるっつうの。あ……やべ、ピッタリにしようとすると十円足りない……両替機って十円にはできねえんだよなあ」
「俺の位置からおまえの財布に千円札見えるな。別にその千円くれればいいけど」
「なんっで俺がテメーに千円やらなきゃなんねえんだよ! もう俺が直接煙草買ってきてやるから待ってろよクソ」
 タスポねえし、桜井はそう吐き捨てると荒々しい歩みで去っていった。伊藤は満足げに笑っている。なんでもいいけど場所を空けてくれないだろうか。今はその台でしか遊べない旧バージョンの格ゲーをプレイしたい気分なのに、とハツがじっとり視線を送っていると、伊藤がハツに気づいた。煙を吐いて怪訝そうな顔で台に向けて顎をしゃくる。
「あ? 何見てんの、これやりたいの?」
 ヤバい。話しかけられてしまった。一方的に存在を認知していても、知り合いではないし話したことはなかった。というか、伊藤は関わりたい類の人間ではない。ハツが返事に詰まっていると、伊藤は向かいの席を指して「ちょうどいい、バカがいなくなって暇なんだよ。俺と遊ぼうぜ」と誘ってきた。いよいよ困ってしまったハツが俯きがちに黙ったままでいると、伊藤は軽く機嫌を損ねたようだった。
「何、やんないの?」
 ゾワッとした。はじかれたように顔を上げると、眉を寄せた伊藤と目が合った。伊藤はこんな顔だったろうか。正面から見つめたことがないので当たり前といえば当たり前だが、記憶と違う顔のような気がして、知らない人間みたいだと思った。普通の鼻。普通の口。少し長い前髪のかかる、真っ黒な目。そもそも記憶の中の伊藤はどんな顔をしていただろう? いや、そんなことよりも、断ったらまずい、ということはわかった。今までの言動を思い返しても、伊藤は自分の思いどおりに事が運ばないと気に入らないタイプなのだろう。これからもガンツーを利用したい身としては無用なトラブルは避けたかった。椅子に座ったハツを見て伊藤は満足げに笑い、煙草を灰皿に押し付けた。
「なんか賭ける?」
 対面の伊藤が思い出したように顔を出してきた。ハツは首を振る。伊藤は「あっそ」と面白くなそうな顔をして顔をひっこめた。いつも桜井と賭けているから少しつまらなく感じているのだろう。HERE COME THE NEW CHALLENGER! 気は進まなかったけれど、反面、ゲーム好きの性がうずいて対戦自体には心が躍る。慣れた手つきでジョイスティックをいじりながら、別に賭けたってよかったけど、とハツは心の中で思う。
 でも損するのはアンタだよ。私、とりあえずアンタには絶対負けないと思うし。