わくらばの庭

(……お、飛行機雲)
 空は遮るものも何もなく晴れ渡っていたので、一筋の飛行機雲が伸びていくのがよく見えた。雲のない午後はいわゆる炎天下といえる気温の庭で、猫背はそんな強い日差しの中でホースで思い切り水を撒いていた。顎から汗がポタリと垂れたのが見える。いつも不機嫌そうに見える顔は暑さと眩しさのせいか余計にしかめられていて、眉間の皺が深い。水はキラキラと光を跳ね返しながらあっという間に地面に吸い込まれていく。真夏の真昼間ということもあって土は乾ききっているみたいだった。
 このマッシロの家の庭はそこそこ広くて、夏になるとこうしてたくさん花が咲く。マッシロんちなのになぜか世話をするのは猫背で、この季節にマッシロんちに遊びにくるとこうして庭に手をかけている様子を見ることができる。今日は、マッシロがでかいスイカもらったから一緒に食べよ! と誘ってくれたのでこうして集まっていて、マッシロがスイカを準備するのを待つ間に猫背はせっせと水をやっているわけだ。
 俺は日陰になっている縁側に座って足をぶらつかせながら、マッシロがいれてくれたカルピスを飲んでいる。マッシロが作るカルピスはやたら濃くて俺好みの味。猫背には濃すぎるみたいで、だいたいいつも氷が溶けるまでほっとかれている。今も縁側のお盆の上に、口を付けられていないコップがそのまま残っている。溶けかけた氷が時折動いてカランと鳴った。
 こんな真夏の日中に水やりをするのは植物にとって毒になりえることを俺は知っている。面白いからわざわざ教えたりはしない。猫背は水色のホースをずるずる引きずりながら、庭を回っていく。朝顔への水やりは満足したのか、俺に背を向ける格好で奥の向日葵に水をかけ始めた。指先で潰したホース口から、横に広がるように水が勢いよく散っていく。猫背ってば相変わらず極端で加減を知らないよね。どう見ても勢いが強すぎるよ。猫背が愛情をもって撒いた水が根を殺していくところを俺はじっと見ている。
「そっちの紫陽花はもう時期が過ぎちゃったのかな。少し枯れてるね」
「んん……そうだな。梅雨も明けてだいぶ暑くなってきたしな。この紫陽花は俺がここに出入りするようになる前からここにあって、俺が初めて庭に入ったときにも咲いてたからよく覚えてる。あの頃はまだこんなに花の種類も多くはなかったんだ」
「じゃあその鉢の朝顔はいつから?」
「これは小学生のときに俺とマッシロが授業で育ててた鉢。黄色んとこの小学校もたぶんあったろ、そういうの」
「あー、あったなァ。ヘチマとかプチトマトとかさ、育てさせられるよね。俺は水やりをサボってたから夏休みが始まる前に枯らして怒られたっけ」
「そうそう、そういうやつ。アレ夏休みは持って帰らされるだろ。うちはアパートだから置くところがなくて、ここで育ててたんだ。マッシロのやつも適当なもんだから、結局俺があいつの分まで世話してなぁ……。そのときから毎年ずっとここで咲かせてる。こうしてみると鉢もだいぶボロボロになっちまったけど」
「向こうのいっぱい咲いてる向日葵は?」
「ヨル子さんが一番好きな花なんだ」猫背が笑う。「見渡す一面咲いてるような大きい向日葵畑に一緒に行ったとき、ヨル子さん本当に楽しそうだった。自分より背の高い向日葵に囲まれて嬉しそうに笑ってて、俺はそれが忘れられなくって……本当はあんぐらい増やして喜ばせたかったんだけど、広さのこともあるしこれが精一杯だったなあ。こいつらが咲くとやっぱり明るい印象になるよ。夏が来たって感じがする」
「向日葵はたしかに夏の王様って印象があるねェ」
 俺も黄色という色が一等好きだから、向日葵のことは好ましく思う。そこで、庭の花の中で、ひとつ名前のわからないものがあることにふと気づいた。庭の端っこで目立たず咲いている。見たことない花だ。前からあったっけこんなの。白っぽい花弁の真ん中から青い毛のようなものがたくさん放射状に広がり、さらにその中心に触手のようなひょろひょろしたものが三本ほど飛び出している。俺としては少し不気味な見た目の花だ。
「それ何? ちょっと気持ち悪いんだけど」
「足で指すなバカ。気持ち悪いとか言うなバカ。これは時計草ってんだ。ほらこの飛び出してるやつが時計の針に見えるだろ」
「時計? 見えるかァ……?」
「うるせー、そういう由来だからそうなんだよ」
 俺に向き直ってまで反論してくる。嫌悪感を隠さない俺の言葉に猫背のやつがいやにムキになるもんだから、この花は猫背のお気に入りなのかもしれないな、どんな言葉を尽くしてこのグロい花を罵ろうかと考えた数瞬の間に猫背が言った。
「俺の誕生花だって言ってヨル子さんが植えてくれた花だ」
 あーハイ。そりゃあ大事にしてて当然だ。庭の隅で地味に咲いてる時計草をこのままなじり続けていれば面白い反応はもっと見れたんだろうけど、珍しく気持ちが萎えてしまった。時計草を見つめる猫背の目はあまりに慈しみに満ちている。
「こんな庭、俺ならきっと枯らしてしまうだろうナァ」
 ぽつりと漏れた言葉は水の音に紛れて聞きとりづらかったのか、猫背が「何か言ったか?」と緩慢に振り向いた。
「よく育てられるよね。毎年毎年」
「ヨル子さんが大事にしてた庭だからな」
 よどみない返事が返ってくる。くだらない問いだと興味を失くしたのか、すぐに俺から視線を外したくせに、いとしい人の名の発音だけは嬉しそうに跳ねている。大事なものを大事にしたいなら、アタマ使う努力ぐらいしなよ、と思う。おまえがやってるその水みたいにただ量を注ぐだけでは、花も人も駄目にしてしまうことが、どうしてわからないのかな。
 それでも猫背が愛する夏の庭はいつも鮮やかだ。いっそしらじらしいぐらいに。
「今年も綺麗に咲いたねェ」
 俺の言葉に猫背の横顔がフフンと誇らしげなものになったのが見えた。
 向日葵の葉がホースの水を受けて揺れている。今は眩しいばかりに大輪の花を咲かせているけど、猫背の偏った育て方のせいで今年も長持ちしないんだろうな。毎年こうやって花を育てるくせにいつまで経っても植物に疎い猫背だけど、向日葵に対する思い入れはひと際つよいようで、向日葵が枯れるといつもひどく悲しそうな顔をする。だからなのか、猫背は向日葵にはより執拗に水をやる。悪循環だ。俺はそれが笑えて仕方ない。
 ヨル子さんがいた頃の庭に立ったことはないけど、マッシロの部屋に当時の写真があるから、今でも当時の様子を知ることはできる。どんなワンシーンだったのかわからないけど、顔に泥汚れがついたまま満面の笑みを浮かべるマッシロと、今よりいくぶん素直さの残る顔であどけなく目元を緩めた猫背が庭をバックに写っているものだ。写真を撮られることも嫌がる猫背が、カメラを向けられてこんなふうに笑うところが想像つかないから、おそらく奴の愛するヨル子さんが撮ったものなんだろう。そんな二人の後ろに広がる庭は、今目の前にあるそれとほぼ変わらないものだ。それはもう、ちょっと寒気がするぐらいに瓜二つ。
 その頃の庭を切り取ったみたいに、庭の花の種類は増えも減りもしない。もちろんそれは猫背の執念めいたこだわりによるもので、花が咲く場所や角度を慎重に調整しながら、いつも同じ景観になるように努めている。庭の住人はもう二度と戻ってこないし、そんなことをしても誰も喜ばないんだけど、疑いようもなく当然だというように猫背は今年の夏も庭を手入れする。
 何年か前の夏、庭が荒らされていたことがあった。無残に土がほじくり返されて向日葵が何本も倒れ、鉢がひっくり返った朝顔は駄目になってしまった。マッシロは野良猫の仕業かなあと困ったように首をかしげていた。荒れた庭を見たときの猫背の怒りったらなくて、ゾクッとするほどに暗く質量すら感じるほどの重たい敵意を全身から放っていた。これがきっと殺意というやつなんだなって俺は思った。猫背は抑え込んだように黙っていたけど庭を睨むその目は雄弁に叫んでいた。「殺してやる。」と。だけどすぐクシャリと顔を歪ませて、沈痛な面持で「ごめんなさい」と呟きながら鉢を起こし、不器用な手つきで朝顔の支柱になんとか蔓を巻きつけ直そうとする猫背は悲壮感たっぷりで面白かった。猫背の努力も虚しくその年は朝顔が元に戻ることはなかった。
 謝罪の対象はもちろん枯れていく花ではなく、ヨル子さんだったんだろう。猫背は花をとおしてヨル子さんを愛し、庭をとおして思い出を見ている。庭を穢されることは、猫背の思い出のヨル子さんが穢されることに等しいのだ。その夏以降、猫背は庭に対して余計に過保護になってしまい、今年もこうしてこのクソ暑い真夏の昼下がりに神経質に水をやっている。
 喜ぶヨル子さんが見たくて幼い猫背が育てた向日葵は、見せる相手がいなくてもおかまいなしに毎年こうして立派に咲き誇っている。見上げるほど背の高い向日葵が猫背を囲んで影を落としている。風が吹くたび猫背にかかる影も揺れた。おまえを取り囲むその花が茎が葉が、猫背を過去にとらえる檻にしか見えない、ってのは、さすがにポエマーすぎてバカバカしいよナア……。そんなこと思いついた自分が恥ずかしいわ。
 コップに残った氷をガリ、と噛み砕く。口の中で溶ける感触がやけに気持ち悪く感じられて、結局庭に吐き出しちゃった。それを見た猫背が露骨に嫌そうな顔をしたのでちょっと笑ってしまった。
「ヨル子って人ってはさア」
「ああ」
「死んだんだよね?」
 ひやりと。庭の温度が下がった気がした。
「……まあ。もう、いない人だ」
 死んだなんてはっきりと言わないでくれ、と、言外に責められた気がした。もちろんそれには気づかなかったふりをする。曖昧な言い方に逃げることは俺が許さないよ。し、ん、だ、ん、だ、よ、ね。
 テンションと連動したかのようにだらりと猫背の手首が下がり、標的を失ったホースの水が足元の地面に落ちてバチャバチャと流れる。猫背は苛立ったようにホースを乱暴に投げ出した。神経質なくせに雑なとこがあるよねおまえってさ。それともわざとかな、俺の足に思いっきり水が飛び散ってんだけど謝罪と賠償を要求してもいいかな。
「もうさァ、忘れたら? 庭の手入れだってやめちゃえばいーじゃん、遺言で頼まれたわけでもないんでしょ、こんなちっぽけな庭のこと。そもそもここマッシロんちだし」
「庭のことはいいんだよ、俺が好きでやってんだ。マッシロにだって許可もらってる。……忘れろだなんて簡単に言うなよ」
「簡単なことだよ。おまえが難しくしてるだけだろ。死んだのも何年前の話なのさ、ほっといても記憶は薄れるものでしょ。だいいち庭なんて構ってるからいつまでも思い出すんだよ。後ろばっか振り向いて同じとこにいつまでもとどまってジメジメと、そんなセンチメンタルが何を生むっての。面白いことなんて何もないじゃない」
 猫背は蛇口をひねってホースの水を止めた。ホースから流れた水が地面に道のような複雑な模様を描いていた。蛇口からホースを抜き、かがんでホースを巻きとりながら猫背は鋭い声で喋る。
「俺は面白おかしく生きたくてやってるわけじゃない。おまえじゃねえんだ」
「関係ないね、誰だって人生は面白い方がいいに決まってンだろ。俺ァねェ、おまえの大好きな親友としてこれでも忠告してやってんの。ずうっとこうしていく気なワケ? 高校を卒業しても、大人になっても、死ぬまで回顧し続けるっての? ヨル子とかいう女と過ごした時間の何倍以上も続いていく人生を、そうやって生きられるとでも?」
「誰が大好きな親友だ」
 オイオイ怒るとこそこなのかよ。ひっどいナァ。泣いちゃうよ俺。ホースを巻きおわった猫背はもう一度蛇口から水を出して手をすすぐ。俺の方を見ようともしない。切り揃えられた襟足を濡れたままの指でガリガリとかきながら、さっきよりも鋭さの失われた声で言う。まるで途方に暮れたように。
「……忘れらんねぇよ。……だって、他にはいねぇもん。あんな綺麗な人」
 そうだね。思い出はいつだって綺麗で当然。俺たちだけが置いて逝かれて老いていく。もういなくなった人だけがいつまでも綺麗なままだ。自分の目がきゅうっと細まるのを感じる。
 過去から今へ続く細い糸のような淡い繋がりが切れないように必死に手繰り寄せて、変わらずそこにあるものを求めようとする猫背は本当にバカだと思う。幻想だよ。糸はとっくに切れてるしもとより何にも繋がってはいない。そこに何かがあってほしいと思ってるだけだ。常々俺は言ってるじゃないか。停滞は悪徳だ。俺たちは日々変わっていかなければならない。毎年おんなじようにうんざりするような暑さでも、毎年同じ種類の花を同じ数咲かせても、違う温度で違う花だとわからないほどもうガキじゃねえだろう。足りないオツムでもちょっと考えればわかることだ。
 同じ夏は二度とこないんだよ。
 だからこんな庭は綺麗でもなんでもない。永遠不変の美しさなんて俺がもっとも憎むものだ。嫌悪の止まぬ澱みだ。唾棄すべき悪だ。許可できぬ倦怠だ。俺の愛する美しさとは、隙間風に揺れる蝋燭の灯火であり、波打ち際の砂の楼閣であり、人の心の在り様そのものであり、そういうものだ。壊れそうで壊れない、崩れそうで崩れない、そういうものなんだ。強そうで強いのではなく脆くとも頑丈なものだよ。だから俺はおまえを気に入ってんのにね。おまえはなんにもわかってないよ、猫背。
 猫背は眉間に皺を寄せたままドカッと勢いよく縁側に腰を下ろした。俺は不機嫌になったぞってアピールしてくるところが子どもっぽくてウケる。クールぶってるような猫背は存外、あのマッシロよりもガキくさく感じる瞬間が多かったりする。本人に言うと、本当に意味がわからないのか戯言だと鼻で笑われて終わりなのが納得いかないんだよね。氷の溶けきったカルピスをごくごくと飲み下す猫背を横目で見ながら俺の口元は緩む。
 不機嫌になったのがおまえだけだと思ってもらっちゃ困るんだよナァ。
「ねえ」
「……ンだよ」
 声をかけてみると、視線は庭に投げられたままだけど小さく返事があった。本当に怒ってんなら俺のコトなんか無視すりゃあいいのに、飲み干したコップをダンと荒々しく置くことで怒りをアピールすることも忘れない。笑っちゃうからやめろっちゅーの。
「もしもその人を殺したのは俺なんだって言ったらどうする?」
 一秒と待たずキッと睨みつけられた。猫背の目の奥でつよいひかりが一瞬ストロボのように瞬いたような気がした。眉間の皺が深く深く刻まれ、俺を咎めるようにその目が強く強く眇められる。目と目があった瞬間に俺の脊髄で火花がはじけた。嗚呼、嗚呼! これだよこれ! 背筋をぱちぱちっと走った電流が脳までのぼって俺をジンと痺れさせる。猫背のこの目が好きだ。見つめられると動けなくなるようなその目だ! 荒れた庭を見ていたあの日の目のような! 遠く過去を想う昏い瞳よりずっとずっとずーっと良い。生き生きと煌々と燃える荒々しい敵意を俺に向けてくれ! その目で俺を見てくれ!
 けれどその視線はすぐ気まずげに逸らされた。んん、残念。猫背はハァと一度大きく息をはいてから、言葉を丁寧に選ぼうとするようにひとつひとつ区切りながら返事をしてきた。
「あのな、黄色、おまえの冗談はな、笑えねぇんだよ。おまえもわかってると思うけど、俺はその人の話については、些細なジョークも見え透いた嘘も、あんまり上手に流せる自信がない。まったくない。何のつもりか知らんけど、おまえとそんなくだらない問答したくねぇんだよ……二度とそんなこと言わないでくれ」
「で、俺が殺してたらどうすんの?」
「おまえなんか嫌いだ!!」
 そう怒鳴って今度こそ猫背は思いっきり俺に背を向けた。アハハ、拗ねちゃった。俺がおまえのお願いホイホイきくわけないだろ、バカだナァ。こりゃ本当に怒っちゃったカモ。こいつは気の毒な事に自分が思っているよりずっと情が深くて、一度友人と認めて懐に入れてしまった相手には、俺のような性質の人間にすら悪意を悪意で返せないところがあった。手放しで好いてはいないだろう俺に対してさえだよ、つけこみやすくて仕方がない。思いのままにひどいことを言ってくれればいいのにさ。まさか俺がおまえの言葉で傷つくとでも思ってんのかな?
 猫背は俺に舌戦で勝てないから、本当にカッとなったときはこうやって言葉を全部拒絶するために背を向けるのが癖。興奮したのか肩が軽く上下しているのがわかる。キレていても背骨が曲がっているせいでいまいち迫力のない背中に口先だけで謝ってみる。
「怒んなって。嘘だよォ」
「…………、…………わかってるよ」
 声を出して笑いそうになったもんだから慌てて口を手で押さえた。ふくく、とてのひらの下で自分の笑いが漏れる。嫌いだと叫んで背を向けるくせに、憎い相手にそうやって律儀に返事を返してしまう。許してしまう。どうしようもなくやさしい男なのだ。やさしくて、バカなやつ。いま振り返られて笑ってるのがバレちゃったらまたすこぶる機嫌を損ねるだろうなあ。どうしようかなあ、どうするのが一番面白いかなァ。向けられたままの背を見て考えあぐねる。
 そろそろマッシロが切り終わったスイカを持って縁側に現れるだろう。そうしたらまたいつもどおりに戻るはずだ。よく冷えたスイカを皆で齧ろう。猫背の分のスイカに勝手に塩をぶっかけよう。そのあとは何して遊ぼうかなあ。日が暮れるまでにはまだまだ時間があるから。考えるだけでもワクワクしてくる。夏はやっぱり楽しい季節じゃなきゃね。
 予想したとおり、奥の台所の方からマッシロが呼ぶ声が聞こえた。お皿運ぶのを手伝ってほしいみたいだ。今行く、と返した猫背が腰を浮かせる。
「二人いりゃ足りるよね?」
「面倒くさがってないでおまえも来るんだよ」
 呆れたように笑って俺を見下ろす猫背の目にはもう不機嫌さも途方にくれた色もなかった。これから顔を合わせるマッシロに気をつかって努めて抑えているのか、本当に気持ちを切り替えられたのかまでは探れなかった。……ま、とりあえず今日はもうこれ以上いじめるのはやめとこっかな。じゅうぶん楽しかったってことで。
「どうせ移動するならクーラーのきいた部屋で食べたくない?」
「スイカは縁側で食べるもんだって昔っから相場が決まってるからな。諦めろ」
「んじゃ種飛ばして遊ぼうよ。俺メチャ得意なんだよねェ~、誰が一番遠くまで飛ばせるか競争しよ」
「子どもかよ。……俺あれ苦手なんだよなぁ、目の前に落ちる」
「あー、わかる、下手そう」
「どういう印象かわからんけど腹立つな……」
 ほら、種飛ばしなら後で付き合ってやるから。早く来い。猫背はそう言って俺を促す。少し意外だった。庭が汚れるとか言って反対されるかと思っていたので拍子抜けだ。嫌がる猫背が見れなかったのはちょっと残念だけど、種飛ばししたいのは本当だし、まあいっか。ウン、と言って立ち上がると軒先の風鈴がちりんと揺れた。古びたこいつももしかしたら何かしら思い出の品なのかなと思う。
 猫背が変化を拒もうとも、思い出の息づく眺め変わらぬこの庭にもこうして新しく思い出が増えていく。吐き出した種からスイカが育って、まったく違う庭になったりして。スイカとは言わないけどこの庭だって新しい花を植えてみるのもいいんじゃないの。ヨル子さんとやらも怒りゃしないよ、きっと。猫背がいつか彼女のことをただの優しい思い出として語れる日が来るべきだと俺は思う。
 大股で台所に向かう猫背を見、振り向いて庭を見る。やっぱりこの庭は向日葵がダントツ目立つけど、俺が釘付けになっているのは例の時計草だ。存在に気づいてしまうと嫌でも目につく。どんな想いやエピソードがあるか知らないし、猫背が特に気に入ってる花みたいだけど……俺はこの庭にあの花は似合わないと思うんだよナァ。あれの存在にもっと早く気づいときゃよかった。あの夏、あのとき、あれが全部散らされていたらあいつはどんな顔をしたんだろう。想像すると吐く息が熱くなった。

「もしもあのとき庭を荒らしたのは俺なんだって言ったらどうする?」