すべてが灰になっても

「皆守、『惑星時計』って知ってる?」
「……聞いたことはないな。そいつも宝か」
「見つけたら皆守にやるのもいいかもなァ」
「何の話だ?」
「おまえはなんか苦労してそうだねって話」


【すべてが灰になっても】


 ……ここはどこだ。
 皆守はまずそれを疑問に思った。空気が乾燥していて埃っぽいし、暑い。寝起きのように頭がぼんやりとしている。ここに来るまでに自分が何をしていたのかうまく思い出せず、ゆうべ深酒でもしたのだろうかと疑ってみるがまるで頭が働かない。てっぺんから降り注ぐ直射日光を避けるため、ひとまず適当な日陰に移動して建物の壁にもたれかかった。眠てェなと皆守は思ったが、目の前に広がる見覚えのない景色に、にわかに焦燥感が生まれ始める。
 建物のつくりや街並みが明らかに日本とは違う。通り過ぎる人々が操る言語も皆守の知らないものだ。足元の石畳の隙間はさらさらとした砂で満ちていて、照りつける陽の下を吹き抜ける風にも砂が混じっている。そもそも皆守の覚えている限りでは今は桜の散りきったくらいの季節だったはずなのにこんな熱風が吹いているのはおかしい。寝穢さに自覚がある皆守といえど、日付も居場所も判然としないこの状況はさすがに異常だった。酔ったまま何か乗り物に乗って寝過ごしたのだろうか? だとしても何をどう乗り過ごしたらこうなる、なんの終点だここは? とまわらない頭で考えていたそのとき、自分の近くから、聞こえるはずのない声がした。

「――次は日本に行かされるかもしれないんだ」

 この声は。
 皆守は自分の目がかっと開いたのがわかった。霞がかかったようだった意識が一気に覚醒する。ほとんど反射的に声の出所に顔が向いた。
 自分が、この声を聞き間違えるはずがない。この声だけは。
 その確信のとおり、そこには葉佩九龍がいた。異邦の街の中にあってもぴんと伸びた背筋に凛とした存在感の男。葉佩の姿を認めた途端、皆守は呼吸の仕方を一瞬忘れた。
 葉佩が學園にいた頃よく装備していた多機能のゴーグルは今はなく、よく日に焼けた顔の中心で輝く両の眼は隠されることなくあらわになっている。葉佩の隣には、現地のものと思しき衣装を着て白い髭を生やした見知らぬ老人が立っており、二人は何事か話しているようだった。
 なぜかその葉佩には少しあどけなさが残っているように見えて、ひどく懐かしく感じた。この葉佩はまるで、そう、出会った頃の――十年前の葉佩だ。皆守はようやく思い出す。今は、天香學園を出てから十年経った四月のはずだ。
 十年前の姿の葉佩が自分の目の前にいることなど普通に考えれば有り得ない。見覚えのない土地に自分が唐突にいることから考えてもこれは夢に違いなかった。けれども夢というには己の思考も体の感覚もあまりに明晰だ。頬に受ける砂まじりの熱い風の感触もずいぶんはっきりとしている。つねれば痛むし切れば血が出そうだ。……何かのきっかけで過去にタイムスリップしたのかもしれないと皆守は思った。突拍子もないとはねつけられそうな思考の飛躍をきっぱり否定できない程度には、皆守自身が不思議な力に巻き込まれてきた。この世界には時間に干渉できるオーパーツが存在していたっておかしくはない。そんなものがあるとしたら、宝探し屋を天職とする目の前の男には垂涎ものの宝だろうな、と皆守は思った。
 身動きもできず、眩暈のしそうな思いで皆守はただ葉佩を眺めた。葉佩の方は皆守の視線に気づくでもなく話を続けている。
「なんてとこだっけな……東京のどっかのハイスクールに潜入してくれってさ。人づかい荒くねえ? まだ本決まりじゃねえけど、先に断り入れるかちょっと迷ってんの」
 皆守の心臓がドキンと跳ねる。なんということだろう。この葉佩は、天香學園に向かう前の葉佩なのだ。そうだ。彼はエジプトから飛んできたと言っていた。となればこの砂漠の街じみた景色や気候にも納得がいく。この彼は、日本にやってくる前の、謎の転校生になる前の……皆守の知らない葉佩だ。理由はまだわからないが、当時の葉佩は迷っていたらしい――天香學園に来なかったかもしれなかった。それを知った皆守の喉が鳴る。
 なぜこの時間軸のこの場所に自分が存在しているのかはともかく、これは千載一遇のチャンスだ。こんな機会はもう二度とない。皆守はこれをずっと望んでいた。何度となく考えたことだった。考えても仕方のない、くだらない問い。だけど消せないifの可能性。
 ――葉佩に、天香學園行きをやめさせることができたら。
 もし、もしも。葉佩があの學園に現れなければ。自分と出会うことがなかったなら。皆守に気まぐれに振り向いたりして深く魂を傷つけられることなく、宝探し屋としての人生をわき目もふらず走り続けていたら……。
 皆守の視線の先にいる葉佩九龍は、少年だった。こどもでもないがおとなでもない。少年と青年のあわいの姿。その認識は皆守の心臓をぎゅうと締めつける。天香學園にいた頃もすでにしなやかで引き締まった体つきをしていると思っていたが、それでも今思えばその頃の葉佩には表情にも体つきにもまだ少年らしさが残っていたのだ。三十路手前になった今の皆守にはそれがよくわかる。
 かつて、探索中葉佩の後ろについて歩くことが多かった皆守は、遺跡に入ると急に頼もしく見えた背中も油断なく辺りを見回していた横顔もよく覚えている。平和な箱庭で暮らしている自分たちとはまったく違う世界で生きてきたことを雄弁に語る諸々の仕草や知識は、葉佩を体の大きさ以上にたくましく感じさせた。皆守はそんな葉佩を誰よりも近くでずっと見てきたはずだった。
 けれども、今目の前にいる葉佩は、記憶の中の葉佩よりもずっと輪郭が薄く幼く見えた。
 だって少年だったのだ。皆守と年端の変わらない、思春期の男の子だった。いくら葉佩が実際に経験を積んできた宝探し屋として級友たちの前で大人ぶっていたって、どんな困難にも負けない一流の宝探し屋を装っていたって、結局は葉佩だって皆守とおんなじ十代の少年だった。その事実は、皆守を想像以上の強さで打ちのめした。
 なぜなら皆守は、葉佩と同級生だったあの頃の皆守は、葉佩のその強さを過信したせいで彼に生涯取り返しのつかない傷を負わせてしまったのだから! 何も恐れない無敵の英雄だった彼を、皆守が愛した宝探し屋としての生き様を、皆守自身がだめにしてしまった。
 ……なあ葉佩。九龍。九ちゃん。おまえはどうして俺なんかを気にかけてしまったんだ。
 責任転嫁ともいえる身勝手な問いを、皆守は投げかけずにはいられなかった。そしてその答えを持ち合わせる人間はすでに隣にはいない。


 ――十年前の冬。
「俺、おまえより先に死んでおまえを置いていったりしないよ」
 あれは、墓の最下層にいよいよ潜らんとする雪の夜だった。壁が薄く寒々しい男子寮の部屋で葉佩が皆守にかけた声はどこまでも真摯に響いた。皆守の鼓膜ではなく心臓に突き刺さるような声に、驚いてしまったからか喉が震えてヒッと間抜けな声が漏れた。
「ン、なこと、わかるかよ……」
 己に似合わぬ反応を恥じるように皆守の口からこぼれたのは憎まれ口に近い言葉だった。あれだけ誠実な声に、疑念で返してしまったことを、皆守はすぐに後悔した。なんとおぞましく汚い心だろう。葉佩の前にいる自分がどんどん醜悪な化け物になっていく気がした――いいや、それで間違ってはいない。自分は目の前の男を最初から裏切り続けた、生徒会の魔人なのだから。
「んっとに心配性だなア、どう言ったら納得すんだよ」
 葉佩はそう言って困ったように頭をかいたが、そもそも皆守は、置いていかれるのが嫌だなどとまるで一人ぼっちを怖がる幼子のような情けない悩みを持っているつもりもそれを葉佩に相談しているつもりもなかった。最下層の探索には何があろうと必ずついていくつもりでいたし、今なぜ葉佩にやれやれと言いたげな反応をされているのかよくわからない。けれど墓守たちと向き合っていた葉佩は、彼らが何を恐れ何を求めているのかいつも本能でわかっていたように思える。何せ隠されたものを暴くのが生業の男だ。そんな葉佩から見て、自分は「そう」見えているらしい。対等なバディを気取っている自分としては、気恥ずかしくて落ち着かなかった。
 理不尽に呆れられてなんだかいい気がしない皆守だったが、笑いの滲んだ声とともに葉佩の熱い両の手に左手をしっかりとつつまれてビクリと震えた。無意識に次のアロマを求めてさまよいかけていた左手は、とらえられて動きを止めた。
「んじゃあさ、ここを出てもさ、これからも一緒に冒険しようぜ。死ぬときは一緒にしよう。こんな稼業してりゃあ失敗は大体死につながってっからさ、そうしたら置いてかれるって心配することもないじゃん。ほらこの前皆守が読んでた本に載ってたアレ、なんだっけ、ナンチャラの誓い……」
「……『桃園の誓い』のこと言ってんのか?」
 ――我ら同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん。それは遠い昔の英雄たちが義兄弟の契りを交わす際の誓い。思い出そうと唸る葉佩を見ていると皆守は眩暈がするような気がした。どうしてこいつは、俺なんかにそんなことが言えるんだろう。
「そうそうそれそれ!」
 皆守が呟いた声を拾って笑う顔は明け透けに無邪気で、自分が何を言っているか全然わかっていなそうに見えた。皆守はそれを、憎たらしいとすら思った。
「おまえ、わかってんのか? そんなもん、おまえなあ、俺が、もし先に死んじまったら、おまえも後おっかけなきゃいけないってことだぞ。嫌だろう……そんなの」
 つつまれている手が熱い。外は雪が降っているというのに葉佩は体温の高い男だ。突然、皆守は湧き上がった罪悪感に心を塗りつぶされて息が苦しくなった。(違う、)皆守は見えない何かに言い訳をするように心の中で叫んだ。俺は何もこいつにそんなことを言わせたかったわけじゃないんだ。そんなつもりじゃない。だけど――。葉佩の熱いてのひらがさらに力強く皆守の手を握り、詫びるような心持ちでいた皆守の思考は一瞬にして遮断される。思わず眉間にしわの寄る痛みすら感じさせるその力は、何も考えるなと脅しつけるかのようだった。
「なんで? それでもいい。死んじまった後も一緒に遊ぼうや。なんでそう思ってんのかよくわからんけど、皆守が天国に行けないってんなら行き先は俺と同じだろ。俺だって宝探し屋だなんだって大義名分かかげて理屈こねたって所詮は墓荒らしの大罪人よ、すでに地獄行き確定なワケ。でもまあ、俺と皆守で巡るなら地獄だろうとどこだろうと面白いに決まってるじゃん」

 これは俺の一世一代のスカウトさ。あの世に道連れ地獄で待ち合わせ。死んでも二人で一緒にお宝を探そうぜ、相棒。

 皆守は呆然と葉佩を見つめた。いつだったか、欲しいものはすべて手に入れると語ったときの瞳だった。葉佩の顔と、握られた手を見比べる。
 震えるほどの衝撃だった。
 だって、九ちゃん、おまえが言ったんだ。気が済むまで秘宝を暴くまでは絶対に死なないんだって、死にたくないってそう言っただろう。それなのにどうしてそんな心中みたいなこと簡単に言えるんだ。こんな裏切り者にそんなに簡単に命を預けるなよ。勝手に一蓮托生にしてくれるなよ。死すら二人を分かたないというのか。そんなふうに事も無げに、まるでいともたやすいことのように、俺なんかの願いを叶えなくったっていいんだよ、ああ、ああ……。
 そうだなァ九ちゃん。おまえとなら地獄でだってどこでだって笑っていられるだろうさ。親愛なる葉佩、稀有な、とうとい友達よ。おまえがそう言ってくれるなら、きっと俺はもう、何も怖がる必要はないのだろう。いなくならないでくれと願ってくれるなら、それだけで、どんな寂しさだって超えていける。
 ――応えたいな。
 ――応えてはいけない。
 共存できない想いが切実な強さをもって皆守の中ではじける。どんなに救われたような気持ちになったって、救われてはいけない。その手をとって楽になることは許されない。そうだろう? 葉佩、俺はおまえが思うような人間じゃない。今となっては人間ですらない。だが、それでも、と皆守は祈るような気持ちで思う。
 こいつが差し出してくれたものに、すべてを懸けて報いたい。俺がやれるものなら何を捧げたっていい。
 皆守はその瞬間たしかにそう思ったのだ。この男がこれから走っていくすべての道ゆきが、明るく照らされ祝福されたものであってほしいと皆守は願った。願うことぐらい許してほしかった。
「……地獄にもカレーはあると思うか?」
 声はみっともなく震えていたかもしれない。だが葉佩はそれを茶化さなかった。「そんなん皆守が作りゃあいいだろ」と笑っていた。


 ――それでも。  皆守は結局その手をとることはできなかった。祈りは果たされることなく灰となり、二人の冒険はその夜、終わった。


 「おまえを一生許さない。」崩れ始めた玄室で皆守と向かい合った葉佩はそう言った。瞼から血を流しながら、それでも瞬きもせず、激しい怒りと屈辱に顔を歪め、燃えるような瞳で皆守を睨みつけて。
 皆守は葉佩の目が好きだった。面白そうなものを決して見逃さず、好奇心で満ちていて、秘宝を求めていつもぎらぎらとつよい光を宿したその瞳が好ましかった。炎のようだと思った。その目が、そのときばかりは他の何ものも視界に入れず、射殺さんばかりの強さをもってただ皆守だけを貫いていた。
 葉佩の目のように燃えていたあの玄室で、あの夜、皆守が選んだこと――葉佩を、生を、選ばなかったこと――は葉佩の魂の在り方を歪めた。人の心だって秘宝足り得るということ、その宝は時として自分にさえどうしたって手に入れられないものであること、一度は手に入れたと信じたはずの大事なものを目の前で失う恐怖を、葉佩はいっぺんに知ってしまった。崩れゆく玄室は葉佩の心でもあった。諦めも恐れも宝探し屋には不要の感情だ。少なくとも葉佩はそう信じていた。八握剣を杖のように地面に突き刺してようやく体を支えていた葉佩は、その満身創痍の体のどこから出るんだというような、剣よりもよほど鋭さを宿した声で吠えた。
「よくもこの俺をただの人間にしてくれたな――皆守!」


 血を吐くような葉佩の叫びは今も皆守を苛む。――そんなつもりじゃなかったんだ。伝えられなかった返す言葉。しかしそれ以上に皆守の心に苦しく燻っているのは、葉佩九龍の魂をあの瞬間だけでも独占できたことに何にも代え難い悦びを己が感じた事実だった。あの目、あの声を思い出すたび皆守の胸に生まれるのは罪悪感だけではなかったのだ。
 あのときだけは、葉佩の目の炎の中で、たしかに皆守だけが燃えていた。
 そこで燃え尽きることができたらどんなにいいかなんて、バカなことを思いさえした。


 九ちゃん。
 俺は本当にそんなつもりじゃなかったんだよ。
 おまえがそんなに傷つくと思わなかったんだ。
 裏切り者の墓守ひとりいなくなったところで、おまえなら前を向いて生きていけると、疑いようもなく信じていた。だけどそうじゃなかったな。わかってるよ。悪いのは俺だ。俺の最大の失敗はおまえの強さを過信していたことじゃない。
 そうさ九ちゃん。俺はおまえの中の俺の価値を信じきれなかったんだ。……おまえはこんな俺のことを最後まで信じてくれていたのにな。
 今ならわかる。九ちゃんは何よりもそれが許せなかったのだ。


 そして今、何の因果か葉佩九龍は皆守の目の前にいる。
 この声の届くところにいる。
 葉佩が失意と怒りのままに學園を去ったあの時とは違う。

 葉佩はまだ老人と話し続けている。エジプトでの日本語の会話とはいえこんな道端でロゼッタ協会の話ってしていいのか? と心配になったが葉佩の迂闊さが今はありがたい。どうにも、時期やほかの任務との兼ね合いなど色々な要因が絡み合って葉佩は日本行きに乗り気でないようだった。しかし耳を傾けていると、協会に逆らう方が後々却って面倒なことになるというのが本筋で、任務の拒否を本気で検討しているというよりはそんな協会に対する愚痴を老人に聞かせているに過ぎないようだった。老人もそれをわかっているのか、少し呆れを含んだ笑みをたたえながら相槌を打っている。それでは俺が困る、と皆守は説得の文句を考え始める。眠れない夜などによく想像しては余計に眠れなくなったものだ。鈍った頭でもするすると思考の残像を追えた。
「行きたくないっつってはいそうですかとはならないけどさァ。なーんかイヤな予感すんだよ俺」
 葉佩の声が聞こえる。そうだ、さすがの勘だぜ、宝探し屋。俺はそれを後押ししてやらなければ。
 ロゼッタ協会期待の若手宝探し屋として相応の実力と自負をもつおまえは、次の任務地で親友ヅラした男に裏切られ、殺されかけ、あげく秘宝も手に入らないという手酷い結末を迎える。狙った獲物を逃したことがないんだといっそ傲慢なまでに強気に笑っていたおまえは永遠に失われてしまうんだ。任務は断ってしまえ。絶対に天香學園には行くな。俺なんかに関わっちゃいけない。俺たちの人生は交わらない方がおまえにとってはいいんだ。そうすればおまえは今もきっとあの頃のまま自信を体に漲らせて高らかに笑いながら生きていたはずなんだ。おまえは最高の宝探し屋だ。ずっと見てきた俺が保証するさ。そう、俺に出会ったりしなければ。俺と友達になんてならなければ……。

 俺と九ちゃんが。友達じゃなかったら。

「やっぱ俺、日本行きたくな……」
「行ってくれ!」

 皆守は叫んでいた。体は勝手に葉佩に向けて足を三歩ばかり踏み出していた。勢いで日陰から飛び出した形になり光が眩しい。葉佩は驚きにまるくした目で皆守を見ている。隣にいた老人がさりげなく、しかし油断なく懐の下の武器に指をかけたのがわかる。思わぬことを口走ったことと葉佩と目があったことで皆守の頭は真っ白になっているのに、平素の愛想のなさが嘘のように口先だけはよく回った。
「行……ってくれ。日本はいいところだぞ。それにその遺跡は超古代文明のオーパーツだらけでな、最奥にある宝はどんな願いもかなえるといわれる”九龍の秘宝”らしい。もちろん、仕掛けや墓守も一筋縄ではいかないから他の宝探し屋じゃあ手が出せないんだ。おまえみたいに優秀な一流のハンターでないとな」
 ぱちくりと音の聞こえそうな瞬きをした葉佩の瞳が揺れる。突然現れた、自分の素性を知るヘンな東洋人に動揺しているのかもしれないが、形振り構っている暇はなかった。
「そこは天香學園っていってな、東京都にある高校だ。おまえは学生としてそこに潜入し、寮生活をしながら遺跡探索をすることになる。どうだ、面白そうだろ? そして、そこでおまえは癖っ毛のクラスメイトに……」
 皆守の言葉が詰まるように止まった。俺は一体全体、何を言っているんだ。まったく思っていることと逆のことを必死にベラベラと、どうしようもないやつだ。もう二度と葉佩を傷つけたくないのに。それは本当だ、本当なのに、それでも……俺が自分の過ちに気づいたとき、おまえには一生俺のことで傷ついていてほしいだなんて思ってしまったんだ、九龍、おまえは手に入った宝にはきっと興味をなくしてしまうから、手に入る寸前に勝手にこぼれ落ちた俺のことは何よりも忘れられないだろう、思い出にされて現地バディの一人として懐かしく語られるなんてまっぴらだ、宝探し屋人生初めての失敗をおまえは一生覚えていてくれるだろう、それが心から嬉しいだなんて、俺はきっと気が狂ってしまったんだ。俺を一生許さないでくれ。その祈りすら贖罪のためではない。一生おまえが俺を許さないなら俺は死ぬまでおまえを縛りつけられる。おまえは俺なんかが引き止めちゃいけない男だ。おまえはその体ひとつでどこにでもいける。どんな宝だって手に入れられる。世界をまたにかける自由で気高い宝探し屋でいてほしい、おまえの歩みを止めるものなど、おまえを縛るものなど何一つあっちゃいけない、その気持ちだって本物なんだ。宝探し屋としてのおまえの情熱に俺は惹かれた。許されないとわかっていても、ずっと一緒にいられたらって思うのをやめられなかった。おまえの道の果てを見届けたいと本気で思った。おまえの誘いはどんなにか嬉しかっただろう。なのに、俺を許さないと言ったあの言葉を思いだすたびにじくりと仄暗い歓喜が背筋を這いのぼるんだ。青春の傷跡になんかしてくれるな。永遠に血を流し続ける傷であればいい。九龍。俺がいたことを、俺といたことを忘れないでほしい。九龍。何もかも間違ったクソみたいな濁った想いを消せないこんなどうしようもない俺ごとおまえの人生から消してくれ。吐き気のするほど自分勝手な願いに、呪いに、夢に見るまで繰り返したどうしようもない問答に、決着をつけるときなのだ。今度こそ。
「クラスメイトに、何?」
 急に黙り込んだ皆守を不思議に思ったのか、葉佩が続きを促すように短く訊ねる。他愛のない言葉でも、自分に向けられた声を聞くだけで皆守の心は震えた。葉佩は、わけのわからない闖入者を警戒して訝るというよりは面白がっているような顔をしている。警戒よりも興味が勝ってしまっているその顔は、まぎれもなく皆守の知る葉佩のものだった。皆守の愛した宝探し屋の性だった。
 頬が熱い。砂漠からの乾いた風にさらされてかさついた唇をなめ、皆守は続ける。
「あァ……、癖っ毛のクラスメイトに、出会うだろう。そいつと」
 葉佩九龍、おまえは、そいつに、俺に、出会わない方がきっと。皆守は深く息を吸い込む。アロマをまとわない呼吸は砂と太陽の匂いがする。

「そいつと、友達になってくれ」

 風がやんだ気がした。

「頼む。そいつはとっつきにくくて嫌なことばかり言うかもしれないが、きっといい友達になれる。おまえを守ってくれる。今度こそ」

 鼻の奥がつんとして目の奥が熱い。体ぜんぶが心臓になったかと思うぐらいつよく鼓動を感じる。色が白くなるほど握りしめた手の内側を爪が傷つける痛みが、これが夢ではないことを知らせている。

「今度こそおまえを守ってやるから……。だからもう一度、俺と友達になってくれ……」

 浅はかな俺は呪ったつもりで呪われていた。九ちゃん、おまえに出会わない人生なんて有り得ないと、俺の魂が叫んでいる。身勝手で浅ましくも俺は、おまえの姿を見ただけで、声を聞いただけで、こんなにも心が震えているのだ。なくした心の片割れを見つけたように。あのとき命ごと全部捨てたつもりだったのに、おまえが半分持っていっちまったんだな。おまえっていっつもそうだよ。取るなっつっても勝手に俺の部屋からなんでも持っていくんだ。……俺はもう逃げない。おまえが俺に愛想を尽かすなら、今度は地獄の底まで俺がおまえを追いかけてやる。それくらいいいだろう? おまえだって俺が墓には行くなと何度言ってもきかなかったんだから。俺も好きなようにやらせてもらう。好きなところに勝手に行って生きてやる。おまえの隣が俺のいたい場所だ。そこがいい。何度後悔して、何度繰り返しても、俺はきっとそれを選んでしまうのだろう。

「なんだよ『守ってやる』って。なんでちょっと上から目線なんだ?」

 葉佩にしてみればずいぶんと不明瞭な話を聞かされたはずなのに、なんだか心底愉快そうに笑っている。「そんなん言われたことねェよ」と言う葉佩に皆守は「俺だっておまえにしか言ったことないさ」とつられて笑った。その拍子に、知らぬ間に乾ききっていた皆守の目から涙がぼろぼろと零れた。瞬きすら惜しかったのだ。目に焼きつけたいと思った。
 葉佩が目の前にいる。生きて、傍にいて、笑っている。
 今はそれだけでいいと思った。





「起きた? 皆守、なんか、ずっと寝言言ってたぜ」
 寝言? ――ああ、夢か。夢だったのか。どこからが夢だったのだろう。葉佩の声を聞きながら皆守はぼんやりと考え、そして疑問に思う。……葉佩? なぜ葉佩の声がするんだ? ここもまた夢の中なのだろうか。今となっては微睡んでいる間しか会えない男だ。目を閉じたまま夢と現の境をさまよいながらもそもそと口の中で自嘲する。
「ハッ……九ちゃんの夢から覚めたつもりがまた夢で九ちゃんとは。俺も大概だな」
 妙に上機嫌な葉佩の声が降ってくる。
「まだ寝ぼけてんの皆守。おまえさ、俺の夢見てたんだろ。俺の名前呼んでたよ。……なあ、いい加減そろそろ起きろって、誕生日だってのに面白味のない過ごし方してんなァおまえ……」
 都合のいい夢ばかりを見ている。どこからどこまでが夢なのだろう。鼻がスンと鳴る。こんな声で話しかけてくる葉佩はもういないはずだ。瞼の裏の闇に、守ってやると言われて笑っていた葉佩が浮かび上がる。目を開けたくなかった。夢だったとしても、まだ、そこにいてほしかった。皆守はやけくそのような気持ちで話しかける。
「生きてたんだな。九ちゃん」
「久しぶりだからってかわいくねえ挨拶だなア。俺は死なねえっての。つうか、薄情なおまえは忘れてるかもしれんけど死ぬときは一緒っつったよ。それに」
 瞼の上に影が落ちる気配がした。目を閉じたままの皆守のやわらかい癖っ毛にあたたかい手が触れる。チャリ、と金属がこすれるような音が皆守の耳元で鳴った。
「おまえが守ってくれるんだろ。皆守」







































【惑星時計】装備:最大AP+20% 敏捷+40
停止していた惑星儀が、神秘の時計を埋め込むことで作動し、持ち主の時間軸に変化を与える。