エイリアンズ

 弁当を忘れたので購買でパンを買うことにした。
 購買はまあまあ混んでいたのでしばらく並ぶことになった。ようやくあと数人というところにきたとき、横から肩をポンと叩かれたのでそちらに目をやるとニヤけた黄色がいた。直感でわかる。これはろくでもない笑顔だ。俺はすぐに前に向き直ったが、列に割り込むように黄色が俺の前に回り込んできた。舌打ちしたが黄色は動じない。俺の後ろに並んでいる女子生徒がムッとしたのがなんとなくわかった。抜かれたと思ったのだろう。黄色は女子生徒のそんな様子に気づいているだろうにも関わらず、まったく意に介さずに俺に話しかけてくる。
「おまえ昨日壊し屋の現場に遭遇したんだって~?」
 その件か。なんで知ってんだろう。こいつ見てたのか?
「何のことだよ。邪魔だどけ、俺が横入りさせたみたいになってんだろが」
「あらら何とぼけてんの、俺の目は誤魔化せないよォ。つーか撫で肩に聞いたしね。隠し事したって無駄無駄」
 撫で肩のやつ……こいつに漏らしてどうすんだよ。少しでも自分の不利になりそうな情報は絶対流しちゃいけないやつだろうが。きっと警戒心もなしに素直に話したんだろうな。面倒くせー。黄色は俺の心を読んだのか渋い顔をつくって「心外!」と騒いだ。
「言っとくけど向こうから聞いてきたんだかんな、俺に。壊し屋のこと何か知ってるかって。あと前見せた写真また見せてほしいっつって、何やら撫で肩クンは壊し屋さんに興味津々のようだったねェ、そんで俺は不思議に思ったわけ、どうして急に撫で肩はそんなことを言い出したのだろう? おんやァ? これは何かあったのでは?! とピンときた名探偵こと俺が事情聴取すると、やっぱりやっぱりありました! 昨日現場を発見したって、第一発見者っぽかったって、しかもおまえと一緒だったって? おまえのお仲間はもう吐いたんだ、黙秘は無意味だ観念するんだナァ! ねえーなんで? なんで俺がいないときにそんな楽しそうなことしてんのォ? 混ぜてよー俺も呼んでよねーそんな面白そうなことがあったんだったらさァ。仲間はずれにされて俺ちょーサミシー。あー俺カワイソー。シクシク。それで何、黙ってっけどさァ、そんなこと知らねえってまだとぼける気なの? ねえ猫背。ねえねえ~」
 うるさっ。俺はシラを切るのを諦めて仕方なく相手をする。
「あーうんそういえばそんなことあったかもな、うんうん。で、それがどうかしたのか」
「壊し屋自体にも興味あったけどさ、昨日はおまえに縁のあるものが壊されたって聞いてなおのこと興味がわいてねェ。ねえねえどんな気分なんですかッ?!」
 黄色がリポーターがマイクを向ける真似のようにして、俺に握ったこぶしを向ける。嬉しそうな顔しちゃってよ。俺は向けられた手を払いのけて、残っているパンを目で確認する。あのメンツなら焼きそばパンにしようかな。そう思っていると二つ前の人が焼きそばパンを買った。俺の惣菜パンドラフトはやり直しになる。
「なんで無視すんだよォ、なぁなぁなんで無視すんのさア」
 黄色が不満げになんでなんでを繰り返しながら俺の周りをグルグルまわりはじめた。振り向かずとも後ろに並ぶ女子生徒はもう露骨に苛立っているのがわかる。貧乏揺すりよろしく上履きのつま先でコツコツと床を叩いているのが伝わってくる。君の気持ちわかるよ、俺もかなり鬱陶しいなって思ってる。
「うるっせーなおまえは、特に何も思うところなんかねーよ。縁ったって、昔遊んだことがあった遊具ってだけだ。あのへんに住んでるやつならあの公園で遊んだことぐらいあるだろ。そんな大げさなもんじゃないっつの。俺は別に凹んでもないし傷ついてもない。満足したか?」
 黄色は立ち止まって俺の表情を下からのぞきこむように窺い、俺が特に強がっているわけでもないとわかったのか途端につまらなそうな表情になる。
「なんだよつまんねーの。物足りないなァ」
「おまえ俺に落ち込んでてほしかったのかよ」
「うん! やだよ悲しい悲しい~ってメソメソしてんのかと思ってわざわざ来たのに」
「ありがとな。帰れ」
 列が進む。やっと俺の番だ。俺の第二回ドラフトによって選出されたのはコロッケパン。ラスト一個だ。ラッキー。しかし手に取ろうとした瞬間、黄色が横からそれをかすめとって素早く売り子のお姉さんに小銭を渡した。「あ」と言う暇もなく黄色は俺の手の届かない範囲まで離れたかと思うと笑顔でそのまま走って去っていく。
「帰れって言われたから帰るね! 俺ってば素直でいい子~! アリーヴェデルチ~」
 ム、ムカつく……。ていうかあいつ話しかけに来たのかと思ったら本当に横入りだったのかよ。我に返って振り向くと、後ろの女子生徒は俺を睨んでいた。俺が振り向いた瞬間慌てたように急いで俯いたけど、明らかに俺を睨んでいた。勘弁してくれよ俺とあいつは無関係なんです。全然関係ないんです。どうせ睨むならあいつを睨んでくれ。俺は内心言い訳しながらその場からとにかく早く立ち去りたくてドラフトをやり直す暇もなく適当にパンをひっつかんで小銭を叩きつけるように置いた。売り子のお姉さんが怪訝な顔をしたのが横目に見えたがそのまま早足で逃げるように立ち去った。

 俺が黄色について知っていること。
 食べ方が汚い。人混みが好き。派手な色を好む。髪の色が頻繁に変わる。硬めの歯ブラシじゃないと落ち着かない。勝手に流れるタイプの水洗トイレと低脂肪乳が嫌いで発泡スチロールが擦れる音が苦手。口が達者で物知りだが意地が悪く人の揚げ足をとることが多い。ずる賢い。イカサマも平気でする。ボードゲームやカードゲームが得意。でもテレビゲームはさほど上手ではない。味付けが極端なもの、辛いものをよく食べる。横断歩道は白いところだけを渡るような妙にガキくさいところがある。寂しがりや、と自称している。
 そして何より、黄色はよく喋る。
 あいつはまるで他人の分まで喋ってやろうとばかりに、呼吸するみたいに言葉を使う。俺とは違って沈黙に耐えられないタイプの人間なのだ。沈黙に耐えられないというか、退屈に耐えられない。沈黙と退屈が黄色にとっては似たようなものである以上、黄色はなかなか黙らない。
 おまけに黄色は言葉で人を傷つける方法に誰より精通している。相対する人間の心の弱み、突かれたくない場所、そういうものを瞬時に把握して的確に自覚的に抉る。誰でも持っている言われたくない言葉の一つや二つ、黄色相手には隠せない。
 黄色は退屈を何より嫌う。暇を持て余すことを何より厭う。結構情緒不安定なやつで、ぺらぺら喋っているところを構わずにほっとくと、急に、世の中は全然面白くないと絶望し始める。生きててもつまんなァい、死のっかな、とか洒落にならないほど落ち込んだ声音で言い出す。要するに常時暇で傍迷惑なハイテンション構ってちゃんなわけだ。年中暇つぶしのネタを探し求めている、とても俺には真似できないバイタリティ溢れる人間で、あの執着ぶりと熱心さを別のベクトルに向けられたらきっともっといい結果を生んでいるのだろうが、悲しいことに黄色は自分の退屈と憂鬱を昇華させること以外には微塵も興味を抱いていない。黄色にとっては何もない茫洋とした日常に自分の身を置くことは耐え難い苦しみなのだ。昨日と変わらない今日が、今日と変わらない明日がずっと続くくらいなら死んだほうがまし、いや俺だけ死ぬなんて不公平だから世界なんて終わっちゃえばいい。まじめにそんなことを考えている。
 だから黄色は自分が楽しむためなら手段も選ばない。あいつは、誰かを傷つけることが今一番面白そうだと思えばそうするだろうし、誰かを陥れることで暇つぶしができそうだと思えばやろうとするだろう。黄色は自分の愉悦のためなら他人を巻き込むことも犠牲にすることにも何の遠慮もしない。そこが黄色という人間の何より厄介なところだ。学業やスポーツでは己の隙間を埋められない。どれもわりにそつなくこなすくせして、それがどうしたと言わんばかりのつまらなさそうな顔をする。面白いことがなければ起こせばいいじゃない、たとえ俺以外にどれだけ甚大な被害が生まれようが俺が楽しければそれでハッピー。退屈するな、暇をつぶせと本能が囁くままに、どっからそんなエネルギーがわいてくるんだというくらいの行動力で実行する。困ったことに、何の因果か黄色は有能にして優秀な人間であり、自分がやると決めたことは大抵やり遂げてしまうだけの力を有していた。
 黄色について俺が知っていること。
 あいつは絵が嫌いで、絵は描かない。というか描けないらしく、小学生の時も図画工作の成績は唯一悪かったそうだ。絵を嫌い、絵を描けないあいつは、俺の絵を、絵を描く俺を、どう思いどんな目で見ているんだろうか。そんなものに執着しこだわるなんてバカみたいだと、笑っているだろうか。
「停滞は悪徳だ。留まり続けることは澱むことだ。立ち止まることは死ぬことだ。細胞は入れ替わる。人は進化する。生きる限りは変化し続けなければいけないんだよ、猫背」
 黄色には黄色なりの美学があり、生き方がある。俺とは相容れないことも多い。呆れたり呆れられたり、対立することもあるし、勝てたためしはないが口論になることもある。嫌なことも色々言われるしあいつに本気で腹を立てることも少なくない。なぜか俺をよく構ってくるしズルズルと交友関係は続いているが、正直絶交したい。俺が黄色について知っていることはそんなに多くはない。生意気でいけすかないやつだ。そういうやつだけど。一言で言うとクズなんだけど。だけど心底嫌いにはなれない。
 本当に、楽しそうに楽しそうに笑うから。
 生きてるってなんて楽しいんだろう、人生ってとっても素晴らしい、世界はこんなにも美しい。退屈を感じていないときは心からそう言って笑うのだ。つまり大抵の場合は人を踏みにじっているときということだけれど。歪んでんなあとは思う。でも黄色だってそこらの人間と大して変わり映えしないひとつの願望があるだけなのだ。
 幸せでいたい。
 ただそれだけだ。楽しく過ごすための手段が曲がってはいても、結局はそれだけだ。自分の楽しみのために、幸せのために、全力を尽くすということを当然のようにやってのける黄色のことが、俺は少し……羨ましいのかもしれない。いや、どうだろう。わからない。
 わからないよ。
 眩しいものを見るように遊具の残骸を見ていた撫で肩を思い出す。(綺麗やなーって。やから見とったんや)そう言っていた撫で肩の目。遊具の残骸。撫で肩はあのとき本当は何を感じ何を思っていたんだろう。黄色は壊し屋についてどこまで知っているんだろう。撫で肩の話で何を理解し撫で肩に何を伝えたんだろう。撫で肩はこれからどうするんだろう。
 購買が見えなくなるところまで来てはじめて手に取ったパンを見た。クリームパンだった。全然そんな気分じゃねー。黄色のボケ……。強く握ると潰れて端から中身が出た。誰が何を思い動いているかなんて想像もつかない。他人のことなんか全然わからない。考えるだけ無駄だ。他人なんて、同じ人間の姿をしていたって、不可解で怖いという意味では宇宙人と変わらない。そして俺は? 俺は何を感じ何を思い何をするだろう? 俺は自分のことすらもよくわからない。どこもかしこも宇宙人だらけだった。